大槌プロジェクトのこれまで

DSC04303.JPGのサムネイル画像

▲蓬莱島から見る大槌町赤浜集落

7月4日から6日にかけて、大槌町を中心に現地調査に伺いました。本来ならばそのご報告をするところですが、この記事が大槌プロジェクト初の投稿ですので、まずは大槌プロジェクトがどのように始まり、どんなことをしてきたのかというお話をしたいと思います。

■大槌プロジェクトの始まり
2011年3月11日の東日本大震災後、都市デザイン研究室では東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターのあった大槌町赤浜地区で、集落の被災状況等に関する調査活動を開始しました。その後2011年度は、大槌町を知ること、復興への示唆を得ることを目的に町の文化資源を調査・整理し、ヒアリングや写真からまちの記憶を掘り起こしました。2012年度も文化資源調査を行うとともに、より詳細に震災前の生活風景を浮かび上がらせるためにヒアリング等を行い、加えて震災時の避難行動の調査を行いました。以下に、この3年間のPJの行動を簡単にまとめました。

■文化資源調査(2011)
otsuchi.png
2011年度から町に根付いてきた祭礼や伝統芸能、漁業文化、湧水のある暮らし等を調査・記録しました。これらの調査は震災によって消えかかった町の文化の記録となるだけでなく、例えばまちなかでの祭礼や芸能と結びついた広場の計画や湧水や漁業資源を生かした新しい産業づくりの手助けとなり、大槌町らしいく空間づくりや集落再生に繫がると考えています。

■吉里吉里思い出サロン/マップ(2012)
震災前、吉里吉里集落内ではどのような日常があったのかを明らかにするために、被災した店舗をお借りして「吉里吉里思い出サロン」を開くとともに、仮設住宅等も訪問し、人々が集っていた場所、漁業の様子、こどもたちの遊び場などをヒアリングしました。集落内の公共施設や広場の使い方や、庭や縁側での「お茶っこ」の様子等について詳しくお話を聞くことができました。まちの記憶の共有を図って、これらの内容を基に「思い出マップ」を作成し、地元の方々にお渡ししています。

■赤浜集落避難行動調査(2012)
震災発生時、人々がどのように考え、どのような避難行動をとったのか、赤浜集落でヒアリング調査を行い、避難のきっかけとなる出来事や避難場所等についてまとめました。また、これとともに集まった避難行動の記録を赤浜集落の中での教訓として未来に受け継いでいきたいという地元の方々の思いをきっかけに、ヒアリングした内容を1冊の文集にまとめました。

■吉里吉里ギャラリー・吉里吉里の住まい(2013)
1001408_146529818889190_2089522733_n.jpg
これまで行ってきた調査で得られた吉里吉里集落の震災前の町並みや暮らしについての情報を住民に還元するため、また、それに伴い吉里吉里集落内ではどのような日常があったのかを明らかにするために、被災した店舗をお借りして「吉里吉里ギャラリー」を開催しました。ギャラリー内では震災前の暮らし芸能文化について詳しい方に、住民に対して話をしていただきました。また、吉里吉里の住宅や住宅地の変遷などについてまとめた冊子「吉里吉里の住まい」を配布しました。

■奥尻島・紀伊半島調査(2013)
2014-03-19 13.28.18串本町役場へのヒアリング.jpg
津波被害を受けてから20年を迎えた奥尻島が現在どのような状況であるのか、当時の復興計画時の想定がどのような影響・効果を生んでいるのかを調査するため、9月に現地を訪問しました。また、南海トラフによる被害が想定される紀伊半島沿岸部での防災対策の現状を調査するため、3月に三重県と和歌山県を訪問しました。

■2014年度の活動
これまでの取り組みから、赤浜地区の非日常(震災時)の状況は一定程度把握することができました。同時に、非日常での空間利用は、日常(震災前)のコミュニティやそれと結びついた空間「コモンズ空間」が大きく関係しているということも徐々に分かってきました。そこで、今後は吉里吉里地区での日常把握の取り組みにおける知見を活かして、震災前後における赤浜地区でのコモンズ空間の変遷を分析していくことを目指します。

D3 神原康介